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2006年2月27日 (月)

多摩美オールナイトロックフェス・1

70年代中頃から90年代末にかけての約20年間、 多摩美術大学の学祭にオールナイトロックフェスというイベントがあった。 毎年、11月2日の夜に始まり、翌3日(休日)の明け方まで、 7、8バンドが出演しておこなわれたコンサートは、 管理されないロック空間の出現する数少ないフェスティバルとして、客からだけでなく、 出演ミュージシャンからも支持されていた。 この当時、学園祭のロックフェスといえば法政大学が知られていたが、 これは昼間のイベントで都内ではオールナイトは多摩美だけだった。 全国でみれば関西にピン大オールナイト(桃山大学、ピンク大学の略)があり、 西のピン大、東の多摩美、といわれ両雄を競うような感じもあった。 多摩美でなぜオールナイトロックフェスが可能だったかというと、 理由は簡単。キャンパスが八王子の山の中にあり、隣接する民家がなかったからだ。 会場の学内体育館はもちろん防音などされていないから音はおもいっきり外に溢れ出していたが、 イベントが中止に追い込まれるような苦情が来たことはない。 しかし、その体育館だが、私学で学生数の少ない美術系大学とあってあまり大きな建物ではなく、 広さは公立の小中学校によくある体育館の2分の1程度。 式典用の舞台もないので建築用の資材を借りてきてステージを作ったが、 ステージ本体とバックステージで体育館の面積の3分の1を使ってしまい、 客を入れるスペースはおせじにも広いとはいえず、 1500人程度入ればいっぱいだった。 校庭で野外コンサートにすれば客はもっと入ったかもしれないが、 この季節の夜間、八王子の山の上の冷え込みは強く、 天候が悪ければイベントの失敗は避けられない。学祭イベントという性格上、 最悪でも赤字を出さなければよいので、小さくてもやはり会場には体育館が使われた。 そしてチケットも1500円から2000円程度で通した。 それはだいぶ昔のこととはいっても、出演バンドの質、 数からすると、やはり格安感があった。 営利が目的ではないという信念がそれとなく受け継がれたような、 あるいは慣例を見直すこともなくそのまま続けたような結果だったと思う。 しかし、やはり運営、継続にはそれ相応の苦心があった。 ミュージシャン側の好意で出演料は通常の半額程度にしてもらっていたが、 それでも有名バンドを呼ぶには予算が足りなかった。 メインになるバンドにインパクトがなければ客は入らない。 そこでとられた方法というのがちょっとした賭ではあるが、 夏前にこれからのびそうなバンドと早めに契約してしまうこと。 もちろん、はずれてしまえばそれまでだが、少なくとも出演料は安くすむ。 それでもそこそこなんとかなり、そんな思惑が最も当たったのが1980年の 「RCサクセション」だった。この年、例によって早めに「RC」と契約した頃は、 まださほど売れてはいなかったが、夏あたりから「雨上がりの夜空に」がヒットし始め、 学祭の季節になる頃にはおもいっきり火がついて、前売りは飛ぶように売れたという。 この年は「子供ばんど」、「シーナアンドロケッツ」などが出演し、夜半、 「RC」の出番になるころには会場は約3000人の客ですし詰めになっていた。 ちんけな体育館をまさに揺らしながらのライブになったが、 今から考えるとよく床が抜けなかったと思う。そして、 客の荒くれ様に気をよくして、アンコールに答えた忌野清志郎が 「昼間行った他の学祭はショボかった! けど、ここはロックだっぜっ!」と叫んで、 「上を向いて歩こう」を歌った。私はこの時、まだ浪人生で、翌年この学校の学生になり、 このイベントにどっぷりかかわることになるとも知らず、夜どおし狂っていた。

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コメント

きようしろうさん、最初で、最後でした。よかった。

投稿: Kendai | 2019年11月 8日 (金) 13時28分

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