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2006年3月 1日 (水)

多摩美オールナイトロックフェス・3

82年度が始まると私はすぐにロックフェス委員会を組織し始めた。主要なスタッフ構成は前年と同じ、委員長、副委員長、会計の3人だけだったが、軽音の部員に対してロックフェスでの担当部所の割り振り、学園祭実行委員会や体連警備との連携など早いうちから整えていった。出演ミュージシャンも夏前にはおおむね決まり、メインは上田正樹。私は関西のブルース系バンドが好きで、元サウス トゥ サウスのボーカルの出演決定に大喜びした。もうひとつは2年ぶりのシーナアンドロケッツ。その他、6バンド。時代的には当時、パンク・ニューウェーブが主流でその手のバンドもいくらか呼んだが、委員長を引き受けた者の特権とばかりに、時代錯誤と一部から批判されながらもこれを押し通した。そして、前年の二の舞は踏むまいと運営に努力した甲斐あって、準備は着々と進んだ。ところがステージも組み上がり、翌日の本番を待つだけとなった時、予期せぬ一報が届いた。それはなんと、シーナ妊娠! 安定期に入る前なのでシーナ抜きの出演にさせてほしいとの事務所からの連絡だった。「かんべんしてよ」と、私は頭をかかえた。すでに前売りは500枚以上売ってしまっていた。呼びもののバンドのボーカルが来ないとあっては、客がどういう反応をするかわからなかった。すぐに事態を明らかにすればチケットの割引、あるいは払い戻しの要求がおこるかも知れない。当日まで伏せた場合、開場の混乱、最悪は暴動も考えられた。もう一度事務所に問い合わせたが、ことがことなだけに無理を押して出てほしいともいえず、結局、残された選択はどこで事実を発表するかという私の決断だけだった。もうじたばたしても仕方ないと、当日、掲示版で告知することに決め、それまでは事は伏せるようにスタッフに言い渡した。ところが、一報の電話を受けた学園祭実行委員会あたりから情報が漏れ、噂は一気に広がり、学園祭の準備にわく学内はその話でもちきりになった。しかし、それが効を奏したのか、翌日には誰もが知る事実となり、混乱の気配は薄らいでいた。一応、委員会からの正式な発表は当日の昼前、掲示板で行ったが、それをわざわざ見に来るものは少なかった。 そして、コンサートが始まると私はバックステージにつめた。責任者はコンサートの様子を把握し、また所在が分かるように動いてはならない。また、この年は司会もした。夜8時、まず学内バンドからコンサートは始まり、当日券での入場者も順調に増え、客の入りはまずまず。9時頃からいよいよプロのバンドの出番になり、その後、コンサートは予定通りに進んでいき、3バンド目に上田正樹バンドが出て、翌年にヒットすることになる「悲しい色やね」を歌った。そして夜半、シーナ抜きの「ロケッツ」の出番。客は会場にめいっぱいに入り、反応によっては、暴動を治めるのに心理的効果のある「会場の全照明点灯」の準備もしていた。しかし、鮎川誠がステージに上がると会場から「おめでとう」の声があがった。普段の自分なら「くすぐったい奴らだ」と、ハスにかまえるところだが、少なくとも最悪の事態はこれで免れたという安堵感でさすがにホッとした。そして「ロケッツ」は、鮎川誠のボーカルでオリジナル曲よりロックンロールのスタンダードを多くカバーし、最後の方で「サティスファクション」を歌った時、会場はこの夜最高の盛り上がりを見せた。災い転じてなんとやら。今思えば、予期しなかったロックンロールショーに一番満足していたのは当の私だったかも知れない。

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