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2006年3月 3日 (金)

多摩美オールナイトロックフェス・5

83年以降も3年間、私はロックフェスにかかわった。しかし、委員長という立場を退いてしまった後はポスター、チラシ、チケットの制作をしたり、アドバイザーなどという偉そうな立場に追いやられてしまい、つまり裏方の裏方にまわったため、最前線でひどい目に遭うことがなくなった。反面、面白味も半減し、あえてここに書いておきたいこともさほどあるわけでもなく、ということで、5回にわたった「多摩美オールナイトロックフェス」の締めとして、「総論」などぶってみたいと思う。   日本のロックの創生期にあたる70年代中期、全国各地の学園祭で試みられたロックフェスのひとつとして多摩美オールナイトロックフェスも誕生した。わずかに残る資料と伝承でわかる当時の出演アーティストが「カルメン・マキ&OZ」や「裸のラリーズ」などだったことから、その時代がはかれるのではないかと思う。そして、多摩美が他のフェスと違っていたのはその後20数年間に渡って継続されたということだろう。時代が80年代に入ってパンク・ニューウェーブに変わっても、それに沿いながら多摩美らしさを失わず、さらに90年代初頭のテレビ番組「イカ天」ブームの影響を受けながらも初期の頃と変わらないオールナイトコンサートが維持された。まったくマスコミに評価されることはなかったが、関わった者として手前味噌と知りながら、これは「快挙」と言って良いと思う。しかし、その多摩美オールナイトロックフェスも90年代末、その幕を閉じた。後継のひとりから聞いた話では、「学生の側からのロックに対する要求が消えた」ということだった。単刀直入に言えば客が入らなくなったらしい。そして最近、ロックフェスが再開したとか話は聞かないし、ネットで調べても、過去の記録がいくつか出てくるだけだった。ロック自体が時代の最先端を切る音楽ではなくなってしまったこともあるだろう。  こうして眺めてみると、このロックフェスの歴史の中で私が関わった時代を考えるに、とくに厳しい頃ではなかったかと思うことがある。当時、ロックとパンクは水と油で反目しあっていた。コンサート中、ロック系バンドからパンク系バンドに変わると会場の客がほとんど入れ替わってしまうことが何度もあった。小とはいえウッドストックの再現を願った私としては頭をかかえる現象だった。時代のせいにしてしまえばそれまでだが、やはり後悔が残る。採算を二の次にしてでも自分の納得のいくラインナップでロックフェスを企画するべきだった。時代錯誤といわれようと、職権乱用と批判されようと、膨大な赤字を出そうと、それでも「あの時代に、自分はこれをやった」というようなコンサートを実現するべきだった。 こんな思いがあったため、20年間もあのロックフェスと向き合うこともなく、ほったらかしにしてきたのかもしれない。ブログなどという場所を持った機会に、ちょっと思い出してみようと、こんなものを書いてみた。また、ロック再興の兆しを感じる今日この頃、次の時代に期待する思いも込めて。

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コメント

とあるTwitterをきっかけにロックフェスのことを調べるうちにたどり着きました。私が入学した1983年、文連関係でロックフェスのステージ組み立てに参加して、後に執行部として手伝った当時を懐かしく思い出しました。当時の正確な記録は実はほぼ無く、とても貴重な記述だと思います。ありがとうございました。

投稿: しおざわひろのぶ | 2019年12月27日 (金) 23時43分

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