さて、かくいう僕もいくらか音楽をたしなむくちで、非常にゆるいペースながらライブなどやっています。昔はエレキでロック・バンドをやっていたこともありましたが、家庭の人となって久しい中、スケジュール調整の難しいバンド活動はなかなかできず、なんとかできるのはアコースティックでのソロ・ライブ。
しかし、それさえなかなか大変で、忙しいときにはギターもさわらなくなり、気がつけば弦を押さえる左手の指先はフニャフニャ。これでは三曲も弾けば指先が痛くなって、演奏がゆるくなってしまいます。歌もノドを鍛えなおさないと、ライブの途中で声が枯れて歌えなくなったりします。若い頃ならともかく、なにかとメンテナンスの必要にせまられる年齢になってのライブには、数週間前からの調整が不可欠なのでした。
そんなわけである日、近所のスタジオで練習した後、ギターを担いで仕事場に戻って来たところに、隣の部屋からI・Kさんがちょうど出てきました。
「あぁ、やっぱり音楽やってんだ」
長髪にベルボトム。僕の見た目がいかにも七十年代風なので、そう思ったのでしょう。
しかし、プロの、それも壮絶な演奏をするI・Kさんには、僕の音楽など恥ずかしいもので、あまり気づかれたくなかったのですが、見られてしまったのではしかたなし。ひらきなおって、
「あははは、いや、その、学芸会ですよ。学芸会」と、言ってその場をにごしました。
そんな風にして、ご近所付き合いをする日々が続きました。
そして、今年の六月二日。
公私ともになにかと波立つことの多いこの頃。「それでも」と、無理を承知でブッキングした吉祥寺・曼茶羅でのライブ。
時間をやりくりして、なんとか態勢を整えてのぞみましたが、舞台に立ったとき、準備不足から気持ちがひるみ、予定していた曲はすべて歌ったものの満足のいくライブとはなりませんでした。その帰り道、足取りは重く、いろいろと思うところもあり、「もう、やめよう」と思いました。
翌朝、気分の重いままいつものように仕事場に行くと、ちょうどI・Kさんが部屋から出てきました。
「あっ、おはようございます」と、僕が言うと、おもむろに、
「昨日、どうだった?」と、聞き返しました。
しばらく前に、やはりスタジオ帰りのところを見られて、「実は6月2日に学芸会なのもで」と話したのをおぼえていたようでした。
「歌い込みが足りなくて、へこんで帰ってきました」 と答えると、I・Kさんは明るく、
「あはははは」と、笑いました。そして、穏やかに言いました。
「俺も、いつもそうだよ」
気にすんなよ。
そんな表情で手を振って、起き抜けのヨタヨタとした足取りで、お便所に入っていきました。
僕は、ひとり廊下に立ち、そして考えました。
あんな壮絶な演奏をする人が、自分の演奏に満足できずに帰ってくる?
にわかには信じられないことでした。
僕を励ますためにそう言ってくれただけじゃないのか?
そんな風に考えながらも、しばらくして、
・・・でも、たぶん、ほんとなのだろう。
と、思うようになりました。
本物のアーティストはどこまでも自分の世界を広げようとするのが宿命だから。
そして、独り言を言いました。
「か、かっこいい」
それまでI・Kさんのことを、「貧乏ながら、悠々自適な音楽人生の人」と勝手に思っていたところがありました。もちろん、それでもかまわないのですが、実際は毎回のライブで死闘を繰り広げる「壮絶な音楽人生」なのでしょう。
そんなことがあって、現金なもので、その日のうちに、
「次のライブは高円寺・稲生座だ!」と、考える自分がいました。
今もI・Kさんは元気で隣に暮らしています。
そして夕方お見かけするときなど、その夜がライブかどうか、すぐにわかります。
ライブの日はさりげなくダンディにきめて、表情も心なしかキリッと。
「今晩、ライブですか?」
そう僕が聞くと、
「うん、あぁ、そう」と、照れ気味に答えます。そして、
「いってらっしゃい」
と、アーティストを戦場に送り出すのでした。
(平成二十年十月三十一日)
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