2006年8月 9日 (水)

忘却の美術作品・5「エルグレコ美術館(スペイン・トレド)」

ヨーロッパの宗教画には、ちょっと現実離れしすぎた印象を受けることがあると思う。 たとえば、馬小屋で出産した女性が身にまとう服としては豪奢すぎたり、 生まれたばかりの赤子にしては分別がありすぎたり、禁欲とはかけはなれた華美な装飾品を山と身につけた僧侶の姿などなど。 やんごとなき人々を表現するには当時としては当たり前で、 時代も中世から近世まで幅広く、一概には言えないかも知れないが、こういう絵を観る機会も実際、多い。 そこにあって、エル・グレコの作品は宗教を題材にしながらとても身近な印象を受ける。添付した写真の作品など、ひどい言い方をすれば、描かれている僧侶は人を救う超然的な力など、ちょっことさえ持っていないように見える。ただ、苦難に戸惑っているだけ。でも、これは裏をかえせば聖者といえど身の丈で生きるしかない生身の人間であることの証で、だからこその共感や、無力に対して「これでいいんだ」と思える安心感を感じさせてくれるのが魅力なのかもしれない。若い頃から好きな画家だったので、スペイン・マドリッド滞在中のある日、トレドまで鉄道で片道約3時間かけて行ってきた。トレドは今では世界遺産のひとつにもなっているらしい。スペインの広大な乾いた大地の中にぽつんと残る城壁に囲まれた中世の町だった。その中に今では美術館として公開されているグレコがかつて住んだ家がある。そこは周りの家々とくらべて、際立ったところのない家だった。中に数点グレコの作品も飾られていたが、むしろ質素であっただろう画家の生活がうかがえるような室内の印象が強く残った。   反骨の人であったらしい。今では、エル・グレコというと作品よりあのトレド家の方を思い出してしまう。 Gureko

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2006年8月 4日 (金)

忘却の美術作品・4「デューラーの自画像(ミュンヘン)」

私は自画像を描いたことがない。19のときだか、描きかけてやめてしまった。 絵描きは自画像を描くものと思ったら大間違い。 私が描かない理由は単純で、こっぱずかしいからだ。 なんか、自分を絵の題材にするというのが、どうも、この、たいそうに思える。 そう思った時点で描けないし、描く必要もなくなる。 それにしても自画像というのは厄介だと思う。実際より良く描けば人格を疑われるし、 悪く描いてもかえってわざとらしかったりする。 自分と向き合うのが自画像を描く本質なのだろうが、 なんか無意識に脚色が入りそうで恐ろしい。 さて、ドイツルネサンスの巨匠、アルブレヒト・デューラーが1500年に描いた自画像は ヨーロッパを訪れたとき、ぜひ観ておきたいと思った作品の筆頭だった。 デューラーは何枚か自画像を描いているが、この作品は他のものとはくらべものにならないくらい 完成度が高く、それは全油画作品のなかでも抜きん出ている。 この作品は自分をキリストに見立てて描いた「ナルシズムの極致」と説明された批評を読んだことがある。 ナルシズムというと、どこかエゴイズムとかさなるのか、 あまり良い捉え方はされない。 実際、ナルナルな自画像を描いて喜ぶ人を見たら、さぞ引くことだろう。 でも、私は高校の頃からこの作品に深く興味をもった。 特に深く考えもせず、壮絶なリアリズムを感じたからだ。 たぶん、徹底的に自分を客体化して、頭に描いた理想の自分を恐ろしいほどの情熱で描いたのではなかろうかと、美術学士のはしくれは想像する。 なにごとも中途半端は汚らしいが、極まったことには「美」が宿る。 実際に作品を観ると、それまでに観た複製にはなかった、 透明な質感が絵の全体を覆っていた。やはり、自分にとって重要な作品は本物を見るべきと思った。 また、旅の目的のひとつでもあったので、ネパールからのこのこと陸路ヨーロッパにやってきて、 やっとミュンヘンに来てこの絵の前に立ったときは、ちょっとした旅の達成感もあった。Durer

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2006年8月 3日 (木)

忘却の美術作品・3「ピカソ美術館(バルセロナ)」

私は人並みか、それ以上に「ひがむ」。 凡人に生まれついたのだから、あるていど仕方ないことだと思う。 そろそろ絵を志し始めた中学の頃、ある美術書でピカソの素描を観た。 それはトルソ(胴体部分)の石膏像を背中から描いたものだが、 完璧としかいいようがなく、描かれた年齢もその頃の私とさしてかわらず、 画力に乏しい自分との差に愕然としたものだった。 「天才はいいよな」。心のどこかにそんな思いを持った。 それからずっと、ピカソのことをひがみつづけた、というわけではない。 だいたい、「ひがむ」のにも大した労力が必要で、 長期間に渡ってひがみつづけるエネルギーがあるなら、 そこそこのことならできるのではないだろうか。 であるからして、凡人である私は「天才はいいよな」を、記憶の底の方におきっぱなしにして さっさと忘れてしまった。 しかし、それから10年後、スペイン・バルセロナでそれが大間違いであったことを 思い知らされることになる。 ピカソの故郷でもあるこの町のピカソ美術館で観たものに再び愕然とした。 ピカソの少年代の作品を展示した部屋に入ったとき、あまり上手とはいえないスケッチの類がならんでいた。 「なんだ、下手じゃん」と、あのトルソのデッサン力とはかけはなれた作品群に私は戸惑った。しかし、その戸惑いも一瞬で消えた。 見渡せばその作品の数は膨大で、パレットなど、ありとあらゆる身近なもの に描かれてあった。すかさず、納得を得た。「これだけ描きゃ・・・・、うまくなるわ」。 私のひがみは間違っていた。それまではピカソの生まれつきの「画力」にひがんだ。 しかし、そんなものは存在しなかった。 ひがむべきは、徹底的につっこんでゆくことのできる「努力」の才能だったのだ。 ひがむ対象さえ誤る愚かさ。愚かの極みである。 しかし、美術館を出るとき、なにか爽やかさもあった。 「なんだ、最初は同じじゃん」。天才に及ぶはずもないが、その何十分の1ぐらいのことならできそうな気がした。(写真)岡本太郎とピカソ Pikaso

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2006年8月 2日 (水)

忘却の美術作品・2「最後の審判(ミケランジェロ)」

骨董品を磨きに磨いてピカピカにするのが好きな人もいれば、せいぜいホコリを払う程度で時間の染みついた風合いを好む人もいる。どちらが正しいのか判断することはできないが、こと私に関していえば断然、後者である。その私が、ミケランジェロの壁画を観るべくバチカンのシスティーナ礼拝堂を訪れたとき、まさに骨董品に対する前者をコンセプトにした修復の真っ最中だった。それはルネッサンス期に描かれたままの姿、つまりミケランジェロの肉筆を再現するというのが最大の目的とされていた。   堂内は修復作業のため、ほとんどの天井部分はシートで覆われ絵を観ることができなかった。そこで私はいたたまれない気持ちになった。原因は訪れた時期がわるかったことではない。私は骨董品に対す部類としては前記の後者である。心の中で叫んた。「なんでそんなことすんだ!」。その時、壁画の表面から取り払われようとしているものは、はたして、ほんとうに消し去るべきチリやホコリや汚れであるのか? たとえ、何度も繰り返された過去の修復の技術が稚拙だったとしても、たとえルネサンス以降、教義の変化で絵が歪曲されたとしても、さらにいえば本当のチリやホコリさえも、それは20世紀末までにミケランジェロに降り積もった歴史ではなかったのか! 現代の我々とルネッサンス期を生きた人たちとのまさに関係の連続性であり、500年の時間そのものであり、そこをこそ鑑賞するのが本筋ではないのか! なんでもかんでも裸にすりゃ喜ぶとでも思ってんのか、バカヤロー! ・・・・・、怒りも虚しく私は堂内に立っていた。そして、目の前には修復を待つ、最大の壁画「最後の審判」があった。この時期訪れた観光客へのせめてものはからいとして、カバーはされていなかった。私は近づけるだけ近づいて細部まで目に焼き付けようと必死になった。複製写真ではけっして感じることのできない壁画の質感は、もうこの時しかないと知っていたからだ。・・・・・さて、時は過ぎ、修復後のミケランジェロの壁画をとやかくいうつもりはない。それはそれ、なくなっちまったものはしょうがない。ただ、私がこの世からいなくなるまでは、この頭の中にひとつ、消えてしまった時間がちょこっとは残っているということである。Mikeranjijero

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2006年8月 1日 (火)

忘却の美術作品・1「モナリザ・最後の晩餐(ダ・ヴィンチ)」

かつての旅で、行く先々、かなりこまめに美術館、博物館の類を見て回った。 しかし、あれからいよいよ20年の時間を経ようとしている今、その記憶の劣化は惨憺たるもので 、深く埋もれるならまだしも、記憶そのものが脳の老化とともに分解消滅しかけていることを実感する。 そこでこの機会に、自分が「どこで」、「なにを見て」、「どう感じたか」を 掘りおこせるものは、せめて、記録しておきたいと思った。「いつ」に関しては 何の記録も残していないので、ヨーロッパの場合なら「1987年の春から夏にかけて」と、ひとくくりにするしかない。忘却の手前でいくつ記憶を救い出せるのだろうか。 「消えるにまかせてしまえ」とささやく、もう一人のパンクな自分に背を向け、記憶煩悩を強行する。              その第1回目はダ・ヴィンチの作品。 若かった私は人並みか、それ以上に愚か者だった。 世間一般に知名度の高いものは「いまさら、見る必要はない!」という粋がった考えを持っていた。 美大生だった頃、ヨーロッパ古典技法への興味は深かったが、 ダ・ヴィンチの、それもモナリザとなると、あまりに有名で、だからかえって 「そんなものは見なくても充分知っている」くらいに思い、ルーブル美術館に行ったときも、 そこに存在するのは知っていても、探してまで見ようとは思わなかった。 しかし、ぶらぶらと館内を歩いていると、必然的にモナリザの展示室に入ることになり、 遠くから「これかぁ」などと思いながら近づいて行った。 ところが、真正面に立ったとき、愕然とした。自分が数多くの複製を見て知っているつもりだった その絵は、全く違った肌合いを持ってそこにあった。「絵画空間が、めちゃくちゃ深い!」「なななななな、なんだこりゃ!」と、しばらく足を床にへばりつかせて絵に見入った。「頭をトンカチでぶん殴られたような」という形容はその時にこそあてはまるだろう。前後の記憶はもはや薄らぼんやりしているが、 あの時受けた絵の印象は鮮明で、今でもはっきり思い出すことができる。 そこで得た教訓も大きかった。「複製にだまされるな!」。 よりライブ志向を強めるきっかけはここにもあったと思う。 それからまた、2か月ほどあと。イタリア・ミラノに立ち寄ったとき、「最後の晩餐」を見に行った。 かつての修道院の食堂にあるこの作品は、長い時間と大戦による破損が激しことは知っていたので、そこからなにかを感じられることは期待していなかった。ところが・・・・・、その破損の激しさにもかかわらず、作品を通して見える奥行きの深さに、またも愕然とした。遠近法が成功しているとかそんなのじゃない、歴然とした空間があった。「なんでこんなことができるんだ! ダ・ヴィンチちゅう作家はいったい、どういう人間だったんだ?」愚人にわかるはずもない疑問を残し、完全な返り討ちにあった。とにもかくにも、愚かな若者だった私が、 この2つの作品を素通りしないですんだのは、本当に幸運だったと、時が経つにつれてさらに思いは深まるのだった。Monaliza

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