小説・レインボーエキスプレス 1章「虹急行」-6
それからの三日間はヨースケも忙しかった。
まず、書きそびれていた手紙を家に送った。入国にビザが必要なインドとネパールの大使館に出向いた。そして、ロンドン滞在中に稼げるだけ稼ごうと、毎日路上で歌った。しかし、動き回ったわりには実りが少なく、ビザはロンドンよりアジアで取得したほうが申請料が安いことを知り一時保留。路上ライブも旅費の足しになるほどの稼ぎはなかった。ただ、ヨースケはマジックバス料金を破格に安くしてもらえたので、旅の継続には問題はなかった。
レオンはこれまで、基本的に乗客の人数によって料金を設定した。ところが今度の場合、この時点での確定乗客数はたった一人。家族に会いに行くのが目的で、最初から儲けを考えるつもりはなく、バスを売って元が取れればよい良いと、ヨースケには二十五ポンド(約一万円)しか要求しなかった。ただし、これは運賃であって、食費、宿代は自分持ちのため、旅費に余裕ができたわけではなかった。
そして、出発当日。
ヨースケは約束の時間より、二十分ほど早くのアビィロード・スタジオの前に立った。しかし、あたりを見回しても、やはりマジックバスに乗りそうな人の姿はなかった。
「やっぱり、一人か」
それまで、乗客が自分だけでもかまわないと考えていたが、実際に出発を目前にして誰もいないとなると、寂しい気持ちになった。カトマンズまでレオンとたった二人だけの旅になるとしたら、マジックバスの意味も薄らぐような気がした。とはいっても、ここまで来てどうなることでもなく、長い旅の間にはなにか出会いが待っているかもしれないと、ヨースケは考えることにした。
見渡せばあたりの緑は豊かで、旅立ちにふさわしい八月中旬の陽光が通りに降りそそいでいた。そして歩道の脇に荷物を下ろし、バスの到着を待った。
ところが、だいぶ時間が経つというのにバスは来なかった。時計を持たないため、正確にはわからなかったが、約束の時間はかなり過ぎているはずだった。
時間と場所に聞き間違いはなかった。「何回、言わせる気だ!」と、レオンを怒らせるまで何度も聞き返し、そのたびに「三日後、午後一時。アビィロード!」と言い切った。しかしその後三日間、なんの連絡も取らなかったことが、一人で待つ身の心細さを大きくした。
「ちょっと、いいかしら?」
突然、後から誰かが呼びかけた。振り向くと、そこには一人の白人女性が立っていた。
「私、バスを待ってるんだけど・・・?」
「えっ? バス、ですか?」
「ええ、時間になっても来なくて・・・」
彼女は困った顔をしながら、道路の左右を確認した。
その女性は長いブロンドの髪に、美しく端正な顔立ちで、身長はヨースケより十センチ以上高かった。身につけた無地で自然素材のブラウスはヒッピー風に袖が広がり、首からかけた鮮やかなビーズのネックレスが胸元を上品に飾っていた。黒地に鮮やかなインド風の刺繍をあしらったロングスカートが微風に揺れ、足元には革製のローヒールのサンダルがのぞいていた。その落ち着いた雰囲気から年齢は三十歳くらいに見えた。
ヨースケは一瞬、彼女の美しさに見とれたが、すぐに気を取り直して言った。
「あの、僕もバスを待ってるんですけど。でもそれ、普通のバスじゃないんです」
「それって、マジックバスでしょ?」
「そう・・・、ですけど」
「やっぱり! そうだと思った!」
彼女は喜んで軽く飛び上がると、少し離れたところにいたもう一人の女性に呼びかけた。
「スー、やっぱりここでいいみたい!」
そしてヨースケに向き直ると言葉を続けた。
「あなたのその恰好と荷物。そうじゃないかと思ったのよ。それとあの娘、私の妹なの」
スーという名前で呼ばれた娘は、荷物を持ち上げると二人のところに走り寄った。彼女も髪は長く、ブロンドで軽くウェーブがかかり、姉妹といわれればどこか似ていたが、姉とは違ってとても快活な印象があった。服はタイトなTシャツに脚にピッタリとしたスリムのジーンズ。足には赤いパンプスを履いていた。いくらかヨースケより大人びた感じもあり、年齢は二十歳前後に見え、そして、容姿は端麗を極めた美少女だった。
「良かったわ。私たちだけかと思った」
「いえ、僕こそ一人かと思ってました」
「それじゃ、これからネパールまで一緒ね。こっちは妹のスー。私はアン。アメリカから来たの、よろしくね」
そう言って握手を求められるとヨースケは緊張した。二人の美女を前にしてギクシャクとした動作は、見るからに滑稽だったが、かえってそれは姉妹の好感を呼んだ。
「お名前は?」
「ヨースケです。日本から来ました」
しかし、その後の言葉が続かず、困ったヨースケはなにか話そうと、必死で話題を探した。
「と、ところで、今、何時ですか?」
「一時四十分よ」
「もう、そんなになるんですか? 一時って言ってたのに」
「そうよね。 出発は一時って書いてあったわ」
「書いてあったって、どこに?」
「カーナビー・ストリートのブティックに貼紙があったの。それを見たら驚いちゃって・・・」
アンがそう言いかけた時、スーが叫んだ。
「アン! あれじゃない?」
彼女の指さす方向から、一台のバスが走って来ると、ゆっくりとスピードを落としながら彼らの前に止まった。バスを見て姉妹は「素敵じゃない!」と、はしゃぎ始めた。そして、レオンが運転席横の窓を開けて手を振った。
「おぉ! 三人もいるじゃないか! 遅れて悪かった。さぁ、乗った、乗った!」
アメリカ人姉妹は荷物を持ち上げると、大喜びでバスに乗りこんだ。
しかし、ヨースケはこれから長い旅をともにするバスを目の当たりにすると、表情も身体も固まって、身動きできなくなった。
「な、なに、これ?」
バスは確かにボディーにペイントされてはいた。しかし、それは太いアウトラインで描かれたお花畑と蝶々の絵で、色も、赤や緑や黄色、原色のペンキをそのまま使っただけの単純な仕上がりで、車体の後部にはには「KINGSTON KINDERGARTEN(キングストン幼稚園)」と書かれていた。まさしく幼稚園のスクール・バスだった。さらに、それだけではなかった。ヨースケの古い記憶の中に、これと同じ絵があった。その記憶を探るようにバスを眺めていると、欧文の園名の下にもう一つ漢字の名称があるのに気がついた。もはやバスが日本製であることに疑いの余地はなく、消されないまま残っていたその漢字の名称は、このバスのもとの所有者であるに違いなかった。そこに書かれていたのは「私立三河幼稚園」。
「こ、これって、僕が、通ってた幼稚園・・・・」
「おい、なにしてんだ! 早く乗れ!」
レオンがせかしても、ヨースケの足どりは重かった。
「嘘だよぅ」
力なくつぶやき、軽い眩暈を覚えながらも、なんとかバスに乗り込んだ。しかし幼稚園に通っていた頃、いじめられっ子だったヨースケは、毎朝このバスに乗るのが嫌でしかたなかった。何度も泣きなが拒絶し、それでも無理やり乗り込まされた幼年期の悪夢が鮮明に蘇った。
「やめて!」
さらにひどい眩暈に襲われながら、泣きそうな声でつぶやくヨースケをよそに、アメリカ人姉妹は喜びはしゃぎ、レオンもエンジンをかけると、
「レインボー・エキスプレスにようこそ!」と叫んで、アクセルを踏み込んだ。
ヨースケはその勢いでよろけながらも、運転席の後まで行った。
「レオン。このバスは、いったい、なに?」
険しい表情で聞くヨースケだったが、運転を始めたレオンはそれを振り返ることもなく、得意げに話し始めた。
「いいだろ! こいつはな、古いことは古いが、エンジンは絶好調だ。なんてったって日本製だからな」
そんなことは言われなくても、ヨースケには激痛が走るほどよくわかっていた。
「それがよぉ、笑っちまうが、オレがこいつをついこの前まで運転してたのさ。オレの首になった仕事ってのはスクール・バスの運転手よ。オレがいらなくなったついでに、こいつもいらなくなって、巡り巡って、またオレのとこに来ちまったってわけさ。でもな、こいつはなんてったって日本製だ。この頃、インドやネパールじゃ、やたら日本製品が人気らしい。こいつならすぐ買い手はつくってわけよ!」
上機嫌のレオンに、聞き返す声は虚ろだった。
「なんで、こんなのがイギリスにあるの?」
「知らねぇなぁ。そんなこと気にしてちゃ、話は始まらねぇさ」
「いやだぁ!」
ヨースケはこの時ばかりは日本語で叫んだ。ところが、レオンはそれを英語の「YEA!」と聞き間違え、「よしきたぁ!」とばかりに、アクセルを思いっきり踏み込み、その勢いでヨースケの体は後に吹き飛んだ。
「大丈夫?」
アンとスーが心配そうに声をかけると、ヨースケが起きあがって力なく言った。
「なんにも残ってないと思ったら、こんなのだけ、残ってる」
(1章「虹急行」終わり。2章「チープスリル・パリス」に続く)
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