2007年12月 3日 (月)

小説・レインボーエキスプレス 8章「十字路」-3


 翌日、レインボー・エキスプレスはインドに入国した。
 国境を越えたインド側のパンジャブ州は、シーク教徒が多く暮らすところで、濃い髭にターバンを巻いた男たちが町を闊歩する姿は、まさに絵に描いたようなインドだった。
 いつもなら、スーが一番前の席で初めて見る風景にはしゃいだが、首都デリーに着くまでの道中、車内はいつになく険悪な空気に満ちていた。そして結局、ウーベの楽観的な予想ははずれ、カズはニュー・デリー駅でバスを降りた。
「まっ、それなりにオモロかったで。もう会うこともないやろけどな」
 別れ際、カズは簡単な言葉をヨースケに残しただけで、ウーベと一緒に、夕方のラッシュで賑わうニュー・デリー駅に消えて行った。
 外は陽も落ちて、車内灯が灯されたが、人気の少なくなった車内はいつもより広く感じられた。それでもスーは、
「さぁ、今からインド・カレー食べに行きましょ!」と、明るく振る舞ったが、アンは小さな声でつぶやいた。
「なんだか寂しいわね。もうすぐ旅も終りなのに」

 デリーの安宿はニュー・デリー駅周辺のパハールガンジ(メイン・バザール)に集中していた。あるいはいくらか離れて、円形の公園を中心に街が放射線状に広がるコンノートプレイスにも宿はあったが、こちらはイギリス統治時代に整備されたモダンな街なだけあって、いくらか宿代も高かった。そして、レオンのデリーでの常宿はこのどちらでもなく、旧市街オールド・デリーのむしろ観光には不便なところにあった。ニュー・デリー駅周辺はなにをするにも便利だったが、道路は込み入って狭く、その上、人通りも交通量も多く、バスを駐車する場所に困ったからだった。
 いつもの宿に落ち着くと、レオンは一人ベッドに寝転がって、インド製のビール「キング・フィッシャー」を飲んだ。宗教上の理由から、インドでも酒類は気軽に買えるものではなかったが、イスラム圏にくらべればはるかに楽に手に入った。久しぶりのアルコールに酔いは早く、自然に瞼が重くなった。
 すると、そこに部屋のドアを叩く音があった。
「誰だ?」
「私よ、アン」
「おぉ、どうした? 開いてるぞ」
 アンはドアを開けると、まず部屋を見渡してから、中に入った。
「ヨースケは?」
「さっきまでいたんだが、バスに戻った」
「やっぱり」
 アンは溜息をついた。
「なんだ、なにか心配なのか?」
「えぇ、ちょっと気になってて」
 レオンは寝転がったまま軽く笑い、ビンの底に残ったビールを飲みほした。
「もう、大丈夫じゃないのか? けっこう普通にしてるぞ」
「そうなんだけど。でも、一人でバスに寝るようじゃ・・・」
「子供のかまい過ぎは良くないと思うけどな」
 部屋はシングルでベッドは一つだったが、そのわりに室内は広く、一人床に寝るくらいならなんの問題もなかった。アンはベッドと反対側の壁の前に置かれた椅子を見つけると、そこに腰かけた。
「でも、私にはまだ大丈夫とは思えないの。なんでもないような顔してるけど、心の中は辛いにきまってるわ。信じてたものが、壊れちゃったんですもの。それもあんなひどいかたちで」
「まぁ、確かにな」
「しばらく前なら、ヨースケは上手くいかないことがあると、すぐ拗ねたり、取り乱したりしたけど、今は、ああして、みんなを気遣って我慢してるのよ。あの子なりに。それを見てると、なんだか可哀相で・・・」
「気にすることはない。あの年頃の男はな、ちっとばかしキツイ目に合ったほうが、かえっていいんだ。まぁ、そのうちいい女でも現れて、夢中になりゃ、すぐに忘れちまうよ」
「そうかしら? 傷が深過ぎないかしら? それに、恋っていったて、すぐにできるものでもないし」
 それまでレオンは視線をどこともなしに漂わせながら、人ごとのように話をしていたが、それを聞いて急にアンを見据えた。
「なぁ、アン。あいつのこと、わかってないのか?」
「なにを?」
 レオンは一呼吸おいてから、ゆっくりと言葉を句切りながら言った。
「あいつは、まだ、自分でも、気づいちゃいないが・・・、あんたに、惚れてるな」
 思いもよらない言葉に、アンは戸惑った。
「バ、バカなこと言わないでよ!」
「まぁ、そう言うと思ったけどな」
 レオンは身を起こしてベッドに座り直し、言葉を続けた。
「つまりだな、学校の先生にでも憧れるようなもんさ。かなわぬ、なんとやらだ。でも、スティーブンとかいうやつのことを忘れるのには、ちょうどいいかもな」
「勝手なこと言わないで!」
「そうか?」
 レオンは顔に悪戯っぽい表情を浮かべた。
「じゃぁ、聞くが。あんたもまんざらじゃないように、オレには見えるけどな」
 アンは目を伏せ、俯いた。そして言葉を失い、黙り込んた。
 その様子を見ると、さすがのレオンも言い過ぎに気づき、慌ててその場を誤魔化そうと、おどけて見せた。
「悪い、悪い。冗談だ。冗談だって」
 しかし、アンは俯いたままだった。そしてしばらくしてから、やっと、ゆっくりとその憂い顔をあげると、静かに言った。
「そうなのかしら?」
「さぁな?」
 気遣いが足りなかったと、レオンの声にも後悔の響きがあった。
「でも・・・」
 その後、アンは言葉が続かず、またしばらく沈黙が部屋を覆った。レオンは無言で次の言葉を待ち、そしてアンは目を潤ませながら、口を開いた。
「違うのよ。ヨースケを見てると・・・、あの人の、若い頃に、そっくりで・・・」
 その言葉の中にレオンは、アンがこれまで誰にも話そうとしなかった過去の、虚ろな輪郭を察した。
「あんたにも、いろいろ、あったみたいだな」

 旅も残すところわずかだった。デリーの後、タージマハルの町「アグラー」に立ち寄り、ヒンドゥー教最大の聖地「バラナシ」へ。そして、そこから北上してネパールへ入り、ヒマラヤを仰ぐ村「ポカラ」に着けば、あとは最終目的地「カトマンズ」だった。そこは、直行するなら三日とかからない距離にあった。

(8章「十字路」終わり。9章「扉澄む」に続く)

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2007年12月 2日 (日)

小説・レインボーエキスプレス 8章「十字路」-2


 夕方、街頭スピーカーからコーランの朗読が流れ始めた。天気のせいか町に人通りは少なく、普段は喧騒に溢れる通りを、雨が古く落ち着いた町並に変えていた。
 ヨースケは宿から少し離れたところにあるチャイ屋で長いこと、その静かに降る雨を眺めた。
「この旅が終わったら・・・」
 インドを目の前にして、マジックバスの旅も大詰めを迎えようとしていた。そして「カトマンズに着いた後・・・」、そのことを考えると、脳裏に不安がよぎった。
 ロンドンでマジックバスを探していた頃、カトマンズの後はそのまま旅を続けるだろうと、漠然と考えていた。確かに、切り詰めれば、まだ数ケ月、旅を続けられる程度の金は残っていた。それを使ってしまえば日本に帰る飛行機代はなくなるが、どこかで仕事を見つけて、旅を続ける手もあった。しかし、一番問題なのはそんなことではなかった。……これから、なにをすればいいのか。それがわからなかった。すでに探すものもなかった。ヨースケはこれまで、〈悩む〉ことはあっても、進むべき道に〈迷う〉ことはなかった。いつもするべきことが見えた。しかし、今はなにも見えなかった。そして、日本に帰る気にもなれず、かといって惰性で旅を続ける気にもなれなかった。
 簡単な屋根でかろうじて雨はしのげたが、吹きさらしの店は肌寒かった。朽ちかけたようなテーブルの上には、三杯目のチャイが手もつけられずに冷めていた。するとどこからか、水溜まりを蹴りながら走る、騒々しい足音が聞こえた。
「ここにいたのか!」
 雨に濡れながら店へ駆け込んで来たのは、ウーベだった。
「エク、チャイ!(チャイ一杯)」
 ウーベはさっそく店の者に注文しながら、向かいの椅子に座った。
「浮かない顔だな」
「そう、かな?」
 ヨースケが少し不機嫌な顔をすると、ウーベは軽く笑った。そして暖かいチャイが運ばれて来ると、それを受け取り、ひとすすりして言った。
「明日はインドだな」
「ウーベはどうするの?」
「夕方にはデリーに着くだろう。そしたら、そのまま夜行に乗ってゴアに向かうつもりだ」
「そうか、寂しくなるね」
「うん・・・。ところが、オレのほうはそうでもなくなった」
「なんで?」
「カズも一緒に行くことになったのさ」
「えっ! どういうこと?」
「一緒にゴアに行くってさ。実はさっき、一騒動あったんだ」
 ウーベはカズとスーの喧嘩の経緯を話し始めた。
「二人で外に出てる間に、なにかあったらしい。部屋に戻ってくると、カズはすごく不機嫌でさ。……どうした? って聞くと、物凄い剣幕で話すんだ。けど、なにしろ日本語だろ。ヨースケはいないし、よくわらなくてさ。かろうじて『バスを降りる』『ゴアに一緒に行く』ってことだけはわかった。しかたなくOKしたよ。いやだって言ったら、こっちまでとばっちり食いそうでさ。で、その後スーに事情を聞きに行って、やっとどういうことかわった」
「なんだった?」
「ヨースケのせいさ」
「僕の・・・?」
「細かいところまではわからないけど、ヨースケのことで言い合いになったらしい」
 ヨースケの表情が重く暗くなると、ウーベはチャイをもうひとすすりして話を続けた。
「まぁ、そんな顔しないで聞けよ。カズは『スーに愛想が尽きた』みたいなことを言ってたけど、そればっかりが理由じゃない。一番の原因は、やっぱりヨースケさ。あれでもカズなりに気を遣ってたんだな。ドイツ人と日本人ってさ、どっか似たとこがあるじゃないか。オレにはなんとなくわかったけど、アメリカ人の感覚はだいぶ違うから、スーには通じなかったんだろう。あれは相当誤解し合ってる。まぁ、しかたがないよ。ヨースケが落ち込むのも無理はないし、カズのイラつく気持ちもわかる。スーにしたってそうさ。カブールの後、みんな気持ちが擦れ違ってたんだな」
 バスから飛び出した後、二人の間で揉め事があったと知ると、ヨースケは気が咎めてしかたなかった。
「だから、気にするなって。オレだってやっとこの頃だぞ、落ち着いてきたのは。テヘランの後、凄くキツくてさ。なんでオレだけこんな目に合うんだって思ったよ。だけど、今考えると自分には必要なことだったのかもしれない。本当のこというと、出るとこに出れば、今でも社会奉仕で兵役の変わりにすることもできる。徴兵拒否っていうとなんかカッコイイから、大袈裟に言ってただけさ。本当は、逃げてる、って後ろめたさがあった。でも、今度のことでそんなもん、ふっ飛んだよ。軍隊の正体がよくわかった。国を守る、なんて嘘だ。銃口がどこに向いてるか、よくわかった。今度のことがなかったら、なんで旅を続けるのか、わからなかったかもしれない。だから、これからは胸張って言える。……闘ってんだ、ってな」
 語るウーベの顔は晴れやかで、ヨースケはなにか羨ましささえ感じた。
「スティーブンのことは残念だったな。だけど、なんていうか、うまく言えないけど、それを越えると、またなんか見えてくるかもな」
「なにか、見える?」
「あぁ、時間はかかるかもしれないけど」
 心の傷はまだ生々しく、深く落ち込んでしまった希望に届くにはまだ足りなかったが、ウーベの言葉はヨースケに響いた。そして、ここしばらくなかった本心からの笑顔が戻った。店の外を見ると、いつの間にか雨は上がり、町に薄日が差し始めていた。
「雨止んだし、ちょっと、二人を説得してこようかな」
 しかし、席を立とうとするヨースケを、ウーベは止めた。
「やめといたほうがいい。かなり頭に血が昇ってるから、火に油を注ぐようなもんだ」
「じゃぁ、どうすれば・・・?」
「旅も長くなればこんな時だってあるさ。無理に仲直りさせようなんて思わないほうがいい。案外、デリーに着く頃には、二人ともケロッとしてるんじゃないか」
「そうかなぁ?」
 二人の様子を知らないヨースケは、その言葉に従うしかなかった。

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2007年12月 1日 (土)

小説・レインボーエキスプレス 8章「十字路」-1


 ラホールは雨だった。厚い雲が陽射しを遮り、町の印象を暗く見せたが、長く乾燥した地域を旅してきたレインボー・エキスプレス一行にとって、久し振りの湿った空気は新鮮だった。
 インド国境を目の前にするラホールは、パキスタン東端に位置し、ペシャワールから軽く一日の距離にあった。しかし、同じパキスタン国内にありながら、ペシャワールとラホールとでは、町の様相はかなり違った。ペシャワールまではアフガニスタンに近い雰囲気が残っていたが、途中のラウルピンディあたりから、ターバンやアフガン帽を見かけることが少なくなり、女性は髪を隠しながらも顔を出して歩く姿が見られるようになった。そして道路にはインドでよく見かける三輪オートリクシャ(タクシー)が目につくようになり、それはパキスタンにありながら、一行がインド文化圏に入ったことを語っていた。
 ラホールの宿は〈盗難〉で有名だった。旅行者の間では民間の宿屋の信用は低く、公営の宿泊施設に泊まるのが安全とされた。そんな理由から、レオンはいつもこの町ではミッション系団体の経営するゲストハウスに滞在することを決めていた。この宿には男女ともドミトリー(大部屋)しかなかったが、値段のわりに清潔で、アフガニスタン以来、どちらかというとあまり綺麗ではない宿の続いた一行には好評だった。しかし、ヨースケだけは宿には泊まらず、一人バスの中で寝た。
 朝、水浴びをすませて、シャワー・ルームから出てきたスーがタオルで髪を拭きながら、朝食の準備をするアンに声をかけた。
「ねぇ、ヨースケは昨日もバスで寝たの?」
 パンを切る手を休めて、アンは一つ溜息をついた。
「そうみたい。ほんとに頑固なんだから」
「やっぱり、カブールでのこと?」
「そうにきまってるじゃない。他になにがあるの?」
「でも、そんなふうに見えないんだけど」
 大部屋にはベッドが八つ並んでいたが、この日の宿泊客は姉妹だけだったので、込み入った話も気兼ねなくできた。
「あれで気持ちを抑えてるのよ。昨日の夜もバスの中で少し話したけど、スティーブンの話はわざと避けてるわ。お金がもったいないからバスで寝るなんて、嘘にきまってる」
 朝食はジャムを塗ったパンと、ミルクティー。お湯は宿で沸かしてもらい、火を使う必要のない簡単な食事の準備は、話をするうちにできた。
「男の人たちには私が持って行くから、スー、ヨースケに朝ご飯持って行ってあげてくれない」
「うん、わかった」
「それと私、その後、郵便局に小包を出しに行きたいの。で、悪いんだけど、ヨースケをどこかに誘ってあげてくれないかしら。ペシャワールからぜんぜん外に出てないんだもの」
「そうね。ここも今日だけだし」
 レオンにとって印パ国境越えが、旅の中で一番気が重かった。インドに入ると、バスの旅はこれまでより、さらに困難を増した。悪路のうえ、牛や山羊がのし歩き、町は人で溢れ、思うように旅が進まなくなるのが常だった。時期的にも雨期の末期。時に増水で道が遮断されることもあった。そのためラホールの滞在は、いつも宿命的に短くなった。一日でも長い滞在は、それだけストレスを溜め込むだけで、さっさとインドに切り込むほうがよほどマシと考えたからだった。
 ヨースケは宿の前に止められたバスの中で、いつもの席に座り、雨に濡れるラホールの町を眺めていた。
 通りに並ぶ建物は二階か三階建が多く、その屋上に映画の看板がいくつか取り付けられているのが見えた。それらはこの地方で作られた映画らしく、ウルドゥー語で書かれたタイトルは読めるはずもなかったが、その強烈な色彩は灰色の空を背景にいやでも目に飛び込んできた。その鬱陶しさに視線を車内に移すと、誰もいない静かな空間の中で、閉じた蓋から漏れ出すように、思い出したくもない記憶が蘇った。
………「そんなことより、君ぃ、あまった金ないかい?」
   「あったら少し分けてよ。ちょっと入り用でね。へっへっへ」
   「悪いねぇ、助かるよぉ。まぁ、元気にやってくれたまえ。じゃぁっ」
 ヨースケは汚いものを振り払うように、頭を振った。すると、バスのドアが開けられ、パンとお茶を手にしたスーが入って来た。
「ヨースケ、起きた? 朝ご飯よ」
「あ、ありがとう。今、行こうと思ってたんだ」
 朝食を受け取りながら笑顔をつくったが、それはどこかぎこちなかった。
「明日、出発だって。もう今日しかないから、博物館に行かない?」 と、スーが誘った。
「そうか・・・、でも、雨降ってるし、僕はいいや」
「なによ雨ぐらい。あのね、断食のブッダっていうすごい彫刻があるんですって。ここでしか見られないのよ。一緒に行きましょう」
「・・・、興味ないから」
 すると、スーは顔をしかめて言った。
「ねぇ、やっぱりスティーブンのこと?」
「そんなことないよ! もう、いいんだ」
「嘘よ! そうにきまってる。辛いのはわかるけど、ヨースケのせいじゃないんだし。それに、せっかくの旅じゃない。いいかげん、元気だしてよ」
 しかし、スーの心遣いは逆効果だった。カブールでの一件の後、力になってくれた人たちに迷惑をかけまいと、必死で平静を装ってきたヨースケだったが、その歯止めがはずれた。スーから目を反らすと、堅く口を閉ざした。
 そこに朝食をすませて、散歩に出ようとしたカズがやって来た。
「おっ! スー。おはようさん」
「おはよう、カズ」
「こんなとこで、なにしてんの?」
「今、ヨースケを博物館に誘ってるとこなんだけど・・・」
 二人はそれぞれの母国語しか話さなかった。しかし、簡単な内容なら通訳なしでも通じ合えるほど、その会話は熟練の度を増していた。
「みゅーじあむ? あっ、博物館か。ええなぁ。俺も行く」
「でも、ヨースケが」
「なんや、まだウジウジしてんのか?」
 カズはわざと呆れ顔で言うと、しかし、なんの反応も返ってこなかった。
「あのなぁ、どれだけ尊敬してたかしらんけど、変わってもうたもんはしゃーないで。スーかて、ほれ、気ぃ遣ってくれてんのやないか。さぁ、これでも一服やって、一緒に行こうや」
 そう言って、チャラスを巻いたタバコをヨースケに差し出した。
「いらない。そんな気分じゃない!」
「いつまでもそんなんじゃアカンで。俺もみんなもつまらへんねん。元気出せや」
「別に迷惑かけてるつもりないです」
「しょーもないやっちゃなぁ」
「ほっといてください!」
 ヨースケはそう言い捨てると、バスを飛び出し、雨の中をどこかに走り去った。
「ええかげんにせんかい!」
 カズは怒鳴った。
 その強い響きの中には、「早く立ち直ってくれ」という切実な思いが込められていた。ところが、日本語のわからないスーはその声の荒々しさだけで、ヨースケをただ罵倒しているのかと勘違いした。
「ねぇ、カズそんな言い方しないで。ヨースケの気持ちもわかってあげて」
 カズもスーの言葉はわからなかったが、いつものように勘で判断した。
「心配せんでもええ。落ち込んでる自分に酔うてるだけや。飽きたらまたもとに戻る」
「大丈夫かしら、ショックが大き過ぎたような気がするけど」
「大袈裟に考えんほうがええと思うで」
「でも、やっぱり心配だわ」
「ほっといたらええねん」
 ここまでは、勘だけで成り立つ会話としては絶妙だった。ところが、
「でも、ヨースケは繊細だから・・・」
 スーが不安気に言うと、カズはいつもの軽い調子に戻った。
「あっ! また、あいつの肩持ってるやろ。ちゃうちゃう、あいつはそんな上等なもんちゃうねん」
 場を和ませようと笑いながら返すと、しかし、スーにはこの感覚は通じず、真剣な話をはぐらかされたように感じた。
「ねぇ、今のどういうこと? 悩んでる友達を笑うなんて、失礼よ」
「そうやねん。あいつアホやからなぁ」
 二人の会話にズレが生じた。
「まじめな話なのよ。傷ついた友達の立場になって考えてあげなきゃ」
「いや、待てよ。アホならまだええか。お笑い芸人の道があるしなぁ」
 二人は気づかないまま、ズレはさらに大きくなっていった。
「私思うの。ヨースケの力になれるのは、あなたしかいないって」
「ええこと思いついた! あいつ吉本に入れるべきや」
「カズが真剣に話せば、ヨースケもきっと心を開くわ」
「吉本入ったら、ごっつぅ根性つくでぇ」
 互いの誤解をそのままに、さらに会話は深淵へと近づいていった。
「真剣に考えてみてくれない?」
「大阪の笑いでしごかれたら、めちゃめちゃオモロイやろなぁ」
「ねぇ・・・」
「どんな目にあっても、だいたいのもんは笑って生きてかれるで」
 そしてスーは、真剣な話を笑いながら返すカズを不愉快に感じ始めた。
「カズ、さっきからなに言ってるの?」
「アホやアホ! アホになったらええねん」
「ねぇ、聞いてるの?」
「これで決まりや! 吉本に売りつけたろ。名案や思わんか?」
「ふざけてるの?」
「俺は天才やなぁ。まぁ、購うてくれたらの話しやけどな。がはははは」
「カズ! あなたってひどい人ね!」
 スーが、ついに怒鳴った。
「な、なんやねん?」
「ふざけてばっかり! 真剣になれる時って、ないの?」
「えっ?」
「友達を思いやる気持ちはないの?」
「あっ、 またや! なんか誤解してる!」
 カズは慌て出したが、すでに遅かった。
「あの時もそうだった。カブールをちょっと歩いただけで、『スティーブンはもういないから諦めろ』なんて。まだ、一日目だったじゃない! 面倒なら、初めから手伝わなきゃいいのよ。ヨースケは必死だったのよ。ひどいわ!」
「おい、待ってくれ。なにをゆうてるのか、ぜんぜんわからへん」
「私は・・・、そりゃ、あなたと一緒に歩いてて、楽しかったわ。あなたも、同じ、だと、思うけど。でも、それが目的だったの? 友達のことはどうでも良かったの?」
「なぁ、頼む。落ち着いてくれ。ぜん・ぜん・わからへん」
「それに、バスの中で『チャラス、チャラス』って、一人ではしゃいで。傷付いたヨースケの気持ちなんか、全然気にしてなかったじゃない!」
 さらに、感情的になって行くスーに手がつけられなくなり、それでもなんとか場の雰囲気を柔らげようと、カズは無理に笑顔をつくった。
「そんなにふくれたら、可愛い顔がだいなしやで」
 しかし、それは無駄だった。
「そんな顔したって、もう騙されないわ! 自分さえ良ければいいのね!」
「勘弁してくれや」
「見損なったわ。あなたなんか大っ嫌い!」
 大声で怒鳴り散らすスーに、カズの我慢もそこまでだった。
「なにを、キーキーゆうとんねん、この女!」
「なによ! 怖い顔すれば大人しくなるとでも思ってるの?」
「なにをゆうとるか知らんけどなぁ。勘違いしてんのはそっちのほうじゃ!」
「わかったわ! それがあなたのやり方ね。気に入らなくなったら力で捩じ伏せるのね」
「ぜん・ぜん・人のゆうこと聞こうとせーへんな!」
「早いうちにそういう人だっわかって良かったわ。騙されるところだった!」
「なんやねん、その目ぇは? 可愛げも、なんもないな!」
 その時、スーの手のひらがカズの頬を強く打った。
「なにしやがんねん、この女!」
「もう、あなたの顔なんか見たくない!」
 怒りを叩きつけるように叫び、バスを出て行くスーを、カズも大声で怒鳴りつけた。
「上等やないか、出てったるわい! どいつもこいつも! こんなシケた連中と旅なんかしてられるか!」

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