テンジン-5
一生を旅に生きるであろうと思っていたのとは正反対に、私は日々仕事に追われる家庭の人となっていました。すでにかつての旅は遠い過去。日常に埋没し、旅人としての意識や記憶も風化の一途をたどる、そんなある日のこと。友人から一本の電話がありました。
「あのさぁ、お前が書いた旅行記に雪男探しの日本人のことが書いてあっただろ」
私はその頃、思うところあって日記に毛が生えた程度の旅行記をまとめ、こともあろうに人に読んでもらおうなどと、その友人に渡してあったのです。
「うん、ネパールのとこで書いたけど」
すると、友人は思わぬことを言ったのでした。
「それって、小野田さん発見した人じゃないのか?」
「えっ、なにそれ?」
受話器をとおして聞く話はこうでした。
前日、テレビで元日本兵、小野田少尉がフィリピン・ルバング島で発見されるまでをまとめた番組が放送された。その中で、ひとりの日本人青年が救出に一役買ったことを語っていたという。そしてその青年は、後にヒマラヤに生息するという伝説の生き物、雪男(イェティ)探しに熱中したとのこと。
それを聞いて、私は古い記憶を頭の中に探しました。しかし、その「雪男探しの日本人」は一言も
「小野田さん」に関しては話しませんでした。
「そんなこと言ってた覚えはないけど・・・」
「でも、雪男探すやつが、そんなに何人もいるとは思えないけどなぁ」
それももっともな話です。だとすれば、あの時の人物が小野田さんの発見者ということになりますが、それにしても、いまだに「雪男」が発見されたという話を聞かないところをみると、あの時が「最後の遠征」になったということにもなります。
「で、その人、その後どうしたって?」
「それがな・・・」
その後に続いた話に、私は衝撃を受けました。
「ヒマラヤで遭難して、亡くなったって」
「えっ!」
私は驚き、戸惑いました。雪崩にあって遭難と聞いて、ほかならぬテンジンのことが気になったからです。
「遭難したのはその人だけ?」
「それはわからん。とにかくヒマラヤで遭難したっていうだけしか言ってなかった」
私はポカラで会った人と、小野田さんを発見した人が同一人物でないことを願いました。が、その決定的な証拠もなく、この時はそれ以上のことはわかりませんでした。
そして、それを確かめるすべもなかったのですが、しばらくして友人は一冊の本を探してきてくれました。
それは文庫本でタイトルは「大放浪」。副題に「小野田少尉発見の旅」とあり、著者は鈴木紀夫。 略歴の最後には「八十七年、雪男を捜しに行ったダウラギリIV峰で遭難」と書かれていました。本を開いてみるといくつか著者の若い頃の写真があり、私の記憶に残るその人の姿はすでに虚ろでしたが、まったくの別人と否定することはできず、むしろ部分にかさなるところがありました。「八十七年に遭難」ということからも、私がテンジンとポカラで再会した翌年のことで、私がいうところの「雪男探しの日本人」は、まず間違いなくその鈴木紀夫氏でした。
鈴木氏はあの時「これが最後の遠征」と語りましたが、皮肉にもそれは、「最期の遠征」になってしまったのでした。ところが、それ以上の詳しい情報は得られず、テンジンがどうなったのか、この本からも知ることはできませんでした。
それから図書館や書店で、機会あるたびに関連する本などに目を通すようになりましたが、どれも肝心なことろにふれる情報はありませんでした。そしてある日、鈴木氏に関する一冊の本の中の、その一行に出会いました。
「一九八六年十一月、ヒマラヤ山中にて同行の三人のポーターとともに雪崩にあい遭難。翌年になって遺体が発見される」
遭難はテンジンにポカラで会ってから約一ケ月後のこと。あれからほぼ十年たって知った、彼の消息でした。
テンジンの消息がわかって、その時いくらか感傷的な気持ちにはなりましたが、すでに遠い過去のこと。間もなくその想いも日常の中に消えていきました。また、こういうことがわかったからといって、とりたてて友達づらするのも、今さらいやらしいことと思います。
さらに十年が経ち、今では私も五十歳という年齢に手が届くところまで来ました。そして半生を振り返ると、それなりに「忘れ物」がぽつりぽつりと転がっているのに気がつくこの頃です。
そして、テンジンはそのひとつでした。
友達を気取るほどの仲ではありませんでしたが、彼の短い人生の終わりに近いところで知り合った者として、なにかしてあげられることはないかと、つねづね考えることがありました。
思うに、鈴木氏に関しては多くの本に、またインターネット上にも人生の軌跡が紹介されていますが、その遭難に居合わせた者に関する記述はほとんどなく、私の知るところでは先に書いた「同行の三人のポーター」が唯一でした。
せめて、その中のひとりに、テンジンという名前の気のいいやつがいた、ということを書き残しておきたいと思いました。
情けないことに、テンジンがどんな顔をしていたのかさえおぼろで、山で育ったガッチリとした体格と、人なつっこい笑顔の気配くらいしか記憶にありません。しかしこれを書き進むうちにいろいろなことを思い出し、あの楽しく過ごした時間を取り戻せたように思います。
世界には様々な「死生観」があるようです。この頃では「心臓が止まったとき」とか、「脳が活動を停止したとき」とかが一般的な「死」と考えられていますが、アフリカなどでは今でも「亡くなった人のことを記憶している人が、まったくいなくなったとき」、つまり記憶の消滅が「本当の死」と考える、ということを聞いたことがあります。私が生きてる間くらい、テンジンのことを忘れることもなさそうなので、まぁ、ほどほどに長生きでもしようかな、などと思ったりもするのでした。
このようなものをご一読いただいた方には恐縮のかぎりです。ただ、誰かひとりでもこれを読んでもらえたら、良い供養になるのではないかと。見知らぬチベット人青年への、お線香一本と思って、どうか心をお治めくださいますよう。
(おわり)
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